地中海の小さな町から、こんにちは。ガイアフィールドの、一番遠隔地からのリモート社員・森口と申します。

今年も、日本・欧州の不動産事情やトレンドなども交えた、ガイアフィールドならではのオリジナルな情報をお届けします。

 

 

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想像外だった結末!ローマ時代建造物のびっくりな変遷

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「今は閑静な住宅街だけど、奈良時代に布を税金に納めていたことが地名の由来なんだって(=田園調布)」

「縄文の時代から人が集まった集落ができていて、にぎわってたらしいよ(=渋谷)」

「昔はほんとに深い谷がある湿地帯だった上に、古墳群もあったなんて信じられない…(=梶ヶ谷)」

・・・など、その土地土地には意外に知られてない歴史があったりします。

様々な場所でそんな歴史的な逸話を聞くたびに、ちょっとワクワクしませんか?

もしかしたら、あなたの今住んでいる場所も歴史的な何かがあった場所かもしれません。

 

日本ではお墓の跡地や戦場などの場所は一見嫌われそうな場所ですが、欧州では意外なことに、殺人事件現場や

処刑場などの場所に「ある種のステイタス」を感じて率先して住みたがる人もいたりするので、日本と欧州とでは

文化的な意識の差があるように感じます。

 

欧州の多くは石造りの建物が多いため、古い土台の上にさらに新しい時代の石で作られていったり、果て

また墓石の果てまでも普通の住居や街づくりに再利用している例もあるのです。

 

今回は、私の住んでいるスペイン・地中海沿岸の町Tarragonaタラゴナにあるローマ時代のAnfiteatro

アンフィテアトロ(闘技場)の歴史的変遷について、ちょっと面白かったのでお話させていただきたいと思います。

…何度も訪れていた私も、今回初めて知ったことがいくつかあり、ちょっと驚きました!

 

 

■ ちょっとだけ、Tarragonaについて説明します!

Tarragonaは、スペインの地中海沿岸にあるタラゴナ州の州都となっていますが、のんびりとした街です。

バルセロナからは電車で2時間程度南に下った場所に位置します。

今でこそ「こじんまり」とした静かでのどかな街ですが、ローマに植民地にされていた時代にはイベリア半島でも

最大のローマ都市Tarracoと呼ばれていました。当時の面影は、街のそこかしこに残る遺跡で感じられます。

 

 

■古代ローマ時代のAnfiteatroアンフィテアトロ(闘技場)は、

    民衆のためのエンタメ!?

         <世界史や映画なんかでもおなじみで有名ですね>

 

古代ローマ時代、それぞれの大きな都市にはAnfiteatroアンフィテアトロ(闘技場)やCircoシルコ(円形競技場)

などが建てられていました。

映画『ベン・ハー』でおなじみのスピードと激しさがある馬車競技や、『グラディエーター』などで観たような

猛獣と人間、剣闘士同士の危険で命を懸けた戦い、更にはそこに様々な舞台装置や工夫を加えたエンターテイメント性

のある見世物として、当時の生活の中でも重要イベントとして組み込まれ、人々に強い感動や興奮を与えることによって

日々のストレスを取り除くという、重要な役割を担っていました。

これらは市民たちに対する「日常生活にハリを与える」娯楽として無料提供されていたんだそうです。

 

また一方で、ローマ権力者の権威強化や政策への支持を集めるための政治的プロパガンダの場としての意味合いも

持っており、一般民衆に与える娯楽であると同時に社会的安定を操作する目的のためにも使われていたのです。

 

 

■ タラゴナのAnfiteatroアンフィテアトロ(闘技場)の特徴

         <地中海をバックに、ロケーションは最高!>

 

スペインがHispania(ヒスパニア)と呼ばれていた2世紀ごろ、元々葬儀場のあった跡に、この闘技場が作られました。

他のローマ遺跡にあるのと同様に、楕円形の広大なアリーナ(砂地の意味)を中心に階段状の観客席がぐるっと

取り囲んだ形状をしています。地下通路や下からのせり上がりができる設備(遺構アリ)もあったようです。

地中海の海岸沿いから少し上がった高台に位置するタラゴナのこの闘技場は、アーチ状の入場口ごしに地中海が見える、

という独特で最高のロケーションが大変美しい舞台装置ともなっています。実際の観客席側やアリーナからの眺めは

一見の価値があります!ここでどんな凄惨な戦いが行われたかは想像しかできませんが、ここを訪れた人はこの景色に

今も一種の高揚感を感じることでしょう。

 

 

■ タラゴナのAnfiteatroアンフィテアトロ(闘技場)の歴史的変遷

 

さて、そんなタラゴナの闘技場がどんな歴史的変遷をたどったかを、今回一部ご紹介したいと思います。

・・・まさかの最後にもご注目ください!

 

ローマの植民地都市Tarracoタラコに闘技場ができたのは、当時のタラコ地元の有力者の多大な献金のおかげも

あったんだそうです。


この闘技場では様々なイベントが行われていましたが、259年1月21日、キリスト教徒に対する迫害の影響で、

司教フルクトゥオスと彼の執事であるアウグリウスエウロギウス円形劇場の闘技場で生きたまま焼き殺されました。

この歴史的事実を経て、後世はこの地はキリスト教徒にとって「殉教者の地」という認識が強くなったようです。

その後、ローマ帝国でのキリスト教政策に伴い、闘技場の目的自体が失われていきました。

更にイスラム教徒による侵略によって、この場所はしばらく空白の時代を経ることになります。

西ゴート王国時代に、改めてこの闘技場跡地に建てられた教会は、闘技場の観客席の石材を利用して建築されており、

教会の横に殉教者の霊廟も建てられていたそうです。(だから闘技場跡がどんどん低く崩れていったのです。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

何度も教会や修道院として建て直される経緯を経てきましたが、19世紀の時点で最終的にはなん

と刑務所になっていました!

 

この時の名前「奇跡の刑務所(El penal del Milaglo)」は、元にあった教会を建立しようと呼びかけた

「奇跡の聖マリア(Santa Maria del milaglo)」が由来のようです。(奇跡が起こる刑務所、という意味では

ないようです。苦笑)

ちょっとびっくりの結末で、この変遷の絵を見ていた私は思わず最後で吹いてしまいました。

(笑)ちなみに、現在のような形の修復維持活動は本当にこの2~30年で行われてきたそうです。

今でこそタラゴナの名所になっていますが、その歴史的変遷を知ると、壊してきた理由も個人的には少しだけ

理解できるような気がします。

改めて、住んでいる場所の歴史や元に何があったのかを調べてみると、意外に面白い発見があるかもしれませんね!

ちなみに私が聞いた面白い話の一つは、「18世紀のとある殺人現場と言われていた場所に住んでいた女性が、事件の聖地巡礼

に来た男性と出会って結婚した」です。その女性も元々好んで住んでいたらしく、結婚して男性もそこで暮らしているという

話にはほほえましくさえ思ってしまいました。オタクなご縁ってどこでもつながるんだな~と思わず納得のエピソードでした。

 

今回はタラゴナのローマ時代の闘技場についてお話してみましたが、ちょっとした観光気分になっていただけたら幸いです。

もし興味があれば是非とも旅行でも来てほしいです!

今後も、欧州ならではのエピソードや欧州にかかわらず世界や日本の不動産関連・建築にかかわる情報を、ブログとメルマガで、

引き続きレポートさせていただく予定です。こちらのブログでは写真など多めに載せていきますので、ご興味がありましたら

是非引き続きお立ち寄りくださいませ。

それではまた、メルマガとブログでお会いできれば嬉しいです!